尼崎の郷土史資料によると夜間空襲があったのは3/13-14と7/19、8/5、8/9である。花火を連想したのが夏とすると7-8月のどれかのことであろう。直接爆撃をまぬかれた実家とは異なってじかに目にする戦争の惨禍であったはずである。
尼崎に学徒動員に行っていたときに空襲がありました。山に逃げてみていると焼夷弾の光が空から花火のようにばらばらと落ちてきます。不謹慎だけどきれいだなって思いました。ずっと忘れていましたが、姉のお見舞いに行くとき尼崎を通ったので思い出しました…
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