年上の方から戦争の時の話を聞きました。東京で機関銃の弾を作っていたそうです。空襲の後工場のあった辺りに見に行ったら橋の橋脚に焼け死んだ人の遺体がいっぱい引っかかっていたそうです。この空襲の時に看護師をしていたお姉さんが亡くなってしまったそうです。戦争が終わってからは金属加工の仕事を続けてピストルの形をしたライターを作ったり、がま口の口金を作ったりしていたそうです。「もうなんでも仕事したのよ。私くらい仕事した人いないわね。」と笑う90歳です。私もこのくらい元気でいたいです。